プロレタリア文化大革命・・・1
中国では、一九五八年から工業生産の飛躍的増大をめざす「大躍進運動」と、農村で人民公社設立を強行しました。
しかし、逆に国内の経済的混乱となって、一時、毛沢東に代わって劉少奇が国家主席となりました(任一九五九~六八)。
五九年にはチベット自治区で大規模な反乱がおこり、指導者ダライ"ラマがインドに亡命したことから中国とインドの武力衝突につながった。
こうした内外の危機に際して党主席(任一九四三~七六)に留まっていた毛沢東は、ソ連の平和共存と対米協調路線への転換を「修正主義」として激しく攻撃しました。
ソ連も毛沢東を独裁者・極左冒険主義者と批判してソ連人技術者の帰国・経済支援の停止などで応えた(一九六〇)ため、申ソ対立が始まり、六九年には中ソ国境で軍事衝突まで生じました。